安房を想う人のブログ

遥かむかし、平将門征伐に加担した責めを追及され安房の地陽の目の里(ひのめのさと~丸山川河口付近)に逃れ来た士族と西方より東方の新天地を求め来た漁民を先祖に持つ私はこの安房の地に強い愛着を持って70余年を生きて来た。戦後20数万人居た、千葉県人口の1割近くを擁した安房の人口が、2%余りに衰退してしまった事に大きな寂しさを感じ、私の子供の頃の活力ある安房の思い出を書きこれからの安房を考える一助として頂きたい

火事が何故消せない❗️南房総市に見る火災

火事は起こしてはいけない

法律的には、大別して放火、重失火、失

火と火事を起こしてしまった状況により

責任が分類されていましょうが、如何な

る火事でも起きてしまった以上は、その

損害を最低限に押さえるべく消さなけれ

ばなりません

そのために、消防組織が存在します

安房地域の場合、

3市1町が組織する安房消防本部と

各市町が組織する消防団によりその存在

意義を発揮しているところですが、

私が見る限り消せたであろう火災が消せ

ないままに全焼に至っている事例があり

ます

令和5年1月、和田地域の飲食店からの

出火です

お昼ご飯時の営業準備中に厨房からの失

火と聞いています

料理人が居た訳ですから通報に遅れは無

かったでしょう

なのに、店舗のみならず住居部分まで全

焼してしまいました

原因は、消防署消防車の到着遅延です

かって、和田分遣所は今回出火場所の4

00m位の場所にありました

それを分遣所配置廃統合により、丸山分

遣所と和田分遣所を廃止して中間地点の

家屋過疎地域の北三原に和田分署を新設し

ました

結果、家屋が密集している統計上火災発

生頻度の高い真浦仁我浦地域への到着は

15分を要する事となってしまいました

更に、安房全域で常備消防を運用する様

になって既に半世紀、消防団の能力は、

消防ポンプ車の小型化、常備消防への

応援業務等が優先して独自の消火作戦を

展開する機会が減る等により消防団の消

火作戦完遂能力に陰りが見えると指摘せ

ざるを得ません

結果、緊急出動に緩慢があったのではと

類推します

即ち、おらが町の火事はおっらが消す意欲

が薄れ、出動はすれど、常備の要請により

行動する姿勢が優先しているのではないか

と危惧するところです

更には、消防署ポンプ車の能力の小型化

を指摘します

50mm40mm送水ホースによる水量

不足と1、5~2tの積載水に頼る消火

作戦による初期消火時の強制鎮圧の出来

ずらさ

いろいろな原因が複合して初期消火が遅

れた結果が、日中の気象条件も悪くない

火災にも関わらず全焼させてしまったと

思われます

消防行政消火作戦上大きな不手際と強く

指摘します

そもそも、

昭和40年代の経済力弱小な時代に、丸

山、和田と2ケ所の分遣所を配置したに

も関わらず、危険率の高まった現代に何

故1ケに統廃合するのか?

理由は、

維持管理にかかる経済的理由ではないで

しょう

総務省消防庁の定める消防力基準がその

消防組織が管轄する地域の広さではなく

人口により資材機材人員の量を定めて

いるからでしょう

東京消防庁の配置では、隣接屯所との距離

が1km以内の箇所が随所にあります

家屋密集地であろうが、過疎地であろう

が、1戸の家屋からの出火頻度は同じで

密集地では、3分で到着し、過疎地では

15分かかって良いとする決まりが有る

ならその決まりを廃さねばなりません

今回の和田の全焼火災の直接原因は、50

年の昔に配備した分遣所を廃止して消防力

の低下を容認した事に最大の原因があり

ます

そして、

常備消防の弱体化を補強する手立て、

則ち、

1、消防団の資材機材の増強

2、即応出動出来る団員の確保~一般団員

の内から常に屯所の近くに所在し火災発生

即出動出来る人を数人選任して待機手当て

を別途支給して備える

3、消火栓の増設と住民組織による消火栓

運営を訓練する

4、1戸に最低1台の消化器の設置を要請

し、火災発生時には協働運用出来る訓練を

行う、設置に当たっては公費の負担を考慮

する

5、消防分団の増設~例えば市役所職員に

より編成する分団、農協漁協職員により構成する分団等職域分団の設置、

等の施策は当然実施されていなければなら

ない要件であります

これらの補完措置が何一つ実施されていな

これは、消防管理者の市の責任として

強く指摘するところです

火災鎮圧は、防災作戦の原点です

防災は、ある意味行政サービスでない部分

を含みましょうが、住民自治の協力を引き

出すには、行政が確たる指導性を発揮しな

ければなりません

 

昭和の合併で統合千倉町が出来る前千歳村

には5ケ分団からなる千歳村消防団が組織

されていましたが、消防自動車はシボレー

のトラックを改造した消防ポンプ車が1台

手曳動力ポンプが1台、後3ケ分団は手押

しポンプでした

ある時、ある分団長は商用で白浜の人と

電話で話していると半鐘の音が聞こえて

火事が大きそうだと電話を切られた

早速に自分の分団の半鐘を知らせばんでた

たき、白浜まで火事を消しに走ったそうな

健田村、旧千倉町、七浦村を通り越して

40分以上の道程をサイレンを鳴らし分団

長自ら運転して緊急走行する

現代の指揮系統からすれば考えられない事

ですが、火を消して帰ったと話す消防馬鹿

がいました

実は、

この話しには、この分団長をしてこれぞ

消防精神と信じて憚らない大きな伏線が

ありました

戦中、消防団の前身が自警団と称した時期

千歳村白子の沿岸部に米軍機の機銃掃射に

追い詰められた鉄木混合で造った小型油槽

船が火をふき乗員は、総員退船し波間に

さ迷いましたが米軍機は執拗に機銃掃射を

続けたそうです

これを見た自警団長佐久間竹松は、団員と

海女を非常呼集し、海女を浮遊する乗員の

救助に向かわせました

佐久間竹松個人の漁具倉庫から堅撚りの

藁縄を大量に持ち出しこれを海女の腰に

しばり海女の命綱として繰り出したと言い

ます

海女は出し(離岸流)にのり浮遊する人に

たどり着くと合図する

砂浜の自警団員は縄を手繰り寄せ一人ずつ

救助する

既に息絶えた人もいたそうですが、生きて

いる遭難者は裸にして海女の素肌の温もり

を伝えて甦生させたと伝えられています

自警団長一人の指揮力は断突です、そして

団員海女に至る多くの人が機銃掃射の中

避難する事無く救助に執った

消防馬鹿の脳裏には、自警団長の際限の

ない、可能性が見えなくとも結果を追求

する指揮魂がのり移っていたのです

その自警団長が消防団長として指揮する

分団長故馬鹿な事をしたのでしょうが、

火事は消してなんぼです

どんなに丁寧に訓練手順通りに消火作戦を

進行しても燃してしまっては失格です

「訓練は訓練の如く、実戦は実戦の如く」

です

平時にあっても実戦想定の思慮を巡らせる

事です

消防本部、消防団、行政の再考を求めます

 

表現等に過誤を見た場合は修正更新

します