安房を想う人のブログ

遥かむかし、平将門征伐に加担した責めを追及され安房の地陽の目の里(ひのめのさと~丸山川河口付近)に逃れ来た士族と西方より東方の新天地を求め来た漁民を先祖に持つ私はこの安房の地に強い愛着を持って70余年を生きて来た。戦後20数万人居た、千葉県人口の1割近くを擁した安房の人口が、2%余りに衰退してしまった事に大きな寂しさを感じ、私の子供の頃の活力ある安房の思い出を書きこれからの安房を考える一助として頂きたい

母校安房高の退廃を憂える

一旬程前、下校電車内での光景です

女生徒が二人乗って来ました

一人は、胸骨が見える程にワイシャツの胸

元をはだけています

もう一人も女子高校生としてだらしない着

こなしです

二人ともワイシャツの上に紺色の毛糸のベ

ストを着ていてワイシャツの胸元にあるは

ずの校章が見えません

私は、5m程離れた座席から見詰めていま

した、当然、女生徒側からすれば年寄りか

らの視線を感じるはずです

「何故?見詰められているのだろう」

そう感じる謙虚さ持って当然です

しかし、

そうした仕草は見えません

5分程見詰めていましたが、立ち上がりそ

の女子生徒の近くから声をかけました

「どこの学校ですか」

返事がありません

「どこの学校ですか?、校章が見えない

から訊ねている」

と強く言うと「安房高」と小さく答えた

安房高生なら安房高生らしくしっかり

と誰もが安房高生徒と認識出来る服装で登

校しなさい、安房高生徒である事を隠し

だてするかの様な校章が見えない状態での

登校は認められない」と近くに居た安房

男子生徒のワイシャツ姿に示される学年別

校章を指差して指摘したが全く反省の様子

は見えませんでした

長居は無用と思い元の座席に帰りました

すると、中年の身なりのしっかりしない女

の人がその女子生徒の側に立ち、話始めま

した、様子からは私に強く叱責された事を

慰めているかの仕草です

しばらくして、その女の人が私の側を通り

過ぎ様としましたので声をかけました

安房高の教員ですか?」

「いいえ違います」と断言しました

「それでは、あの生徒とはどういう関係で

すか」

「知人です」と答え続けて

「明日管理職に報告します、教頭に報告し

ます」と言い前言を翻しました

私は即座に

「明日、私が校長に電話して厳重に注意す

る」と言うと

「そうしたらいいでしょう」と対抗的に言

うなり通り過ぎて行きました

女子生徒が何故に外部から注意されたのか

自らが、安房高校の教員として通勤途上と

いえども如何なる対応をしなければならな

いか全く認識のない態度でした

もし、

私が悪意のある加害者になり得ると判断す

るなら、近くに居る男子生徒を指揮して女

子生徒2名を守るが居合わせた教員の務め

です

私の存在を素直に認識出来たなら

その教員は、私に対し安房高校の教員であ

る身分を証し、何故に注意を受けたのか訊

ねるべきでした

この両方2つを行う事が出来ませんでした

教員として失格です

翌日学校に電話して校長に繋いでくれる様

に依頼しました

校長は1日不在との事でしたので、生徒指

導部長教師に取り次ぐ様依頼した

会議中を理由に電話に出ようとしませんで

した

事務長を呼び出し、

「校長不在時に重大な会議は想定されな

い、指導部長の責任からすれば、私が言

う用件の方が数段上だ、取り次いでくださ

い」

と言うと事務長は、電話の主が「17期

の水嶋」である事を認識して取り次ぎまし

「指導部長の佐藤です」

と名乗って電話に出ました

「胸元をはだけた着こなしは安房高の女子

生徒として容認出来ない」

「チョッキを着ていて校章が見えない」

「これが安房高生徒として自負出来る服装

か」

と3点を指摘しました

すると、いきなり

安房高には衣替えがありません、そのよ

うな姿での通学は認められます」と言い張

った

安房高には歴然とした衣替えの期日はあ

る6月1日と10月1日だ、但しこれを前

後して、暑過ぎる、寒む過ぎる場合は生

徒個々の判断で安房高生徒として適切な着

替えは推奨されると言う事で、衣替えがな

い事とは意味が異なる、この生徒意識尊重

の気風こそ安房高の由縁である、この慣習

を何時変えた」

「ましてや、私は衣替え云々を論じてい

るではない、校章が見えない状態での通

学の服装、胸元を大きくはだけた高校生ら

しからぬ姿態、そのような姿をもって通学

するは安房高生徒として認められないと強

く指摘している、話を微妙にずらすな」と

言い張りました

「私は、60年昔の在学中、卒業してか

ら60年、安房高生徒の風紀問題につい

ては多く発言してきた、が私の言うが全

てで貴方の様な反論に終始した言われ方を

されたのは初めてだ、私の在学当時

高橋理悦先生と言う旧陸軍士官経歴の傷痍

軍人の先生がいらした、安房高の教師陣

の多くの方が房中出の先生でしたが特別

に厳格な思想の先生で生徒からは恐れられ

ていた、が私はその高橋先生からも貴方

の言われ方をされた覚えはない」

「そもそも、佐藤さんは安房高卒業ではな

いでしょう」

「はい」

安房高で3年暮らせばどんな馬鹿でも私

の言う事の半分は分かります」

「私が馬鹿と言う事ですか」とまた論点を

違えた挑発的発言をした

「貴方の様な人が母校安房高に教師として

存在する事が問題だこれ以上話す価値はな

い」

善意の同窓生を貶めても自らの立場を優位

にしようなどとする輩と言い合う必要はな

いとしてて電話を切りました

(続く)

(私はこのような文書を投稿する場合熟

慮の上で行う、途中で書いた分だけ投稿

するなどありません、しかし、母校安房

高の一部生徒の退廃的仕草を見るに附け

電車の中の教員の姿勢、生徒指導部長の対

外言動、校長の安房高意識の欠如を見る

時、60年昔のミスター風紀委員は黙って

いられない、

昭和39年度の風紀委員長は真面目を絵に描いた様な五十嵐博君だったが、真面目過

ぎる故に解決出来ない事は私が一身に引き

受けて事なきを得ていた

故に現在の退廃的思想は看過出来ません)

(続きます)