フラワーマーチはいかに
先の日曜日19日に千倉町の南3分2を
使って、
フラワーマーチ
と銘打つ企画がなされた
千倉町に生まれ、千倉町で40年を過ごし
た長女が、友人に誘われて当日申し込みで
参加しその感想を聞かされた
「お父さんの商売を筆頭に千倉町が退廃
している認識はあるが、あそこまでこれ
でもか?これでもか❗️と
いう現実を見ると滅入る事しきりだ」
「スタート直ぐから裏道に見える農地は
耕作放棄 地が目立ち、後も生活道路を
つなぎ、つなぎ、ここぞとは高家神社
のみ、廃校の朝夷小学校、忽戸小学校
七浦小学校が目に入る、視界が開ける
川口から西は耕作放棄地ばかり❗️
花を作る畑は余りに少ない、大川、白間
津の観光客用のお花畑のみでした」
「復路の海岸通りは、きれいな太平洋
に沿う幾つもの港はみな使われている様子
が無く、建物は朽ち、港に船は空っぽ❗️
商売に失敗してもなおなんとか生きよう
としているお父さんよりもっと悪く見え
ました」と言われました
私が物心がつき、学校を卒業するまで
高校を卒業して直ぐに仕事を始めこの
長女が生まれるまで
千倉町には、耕作放棄地などは無かった
空地が出来れば買われていき、新たな
商売が立ち上げられた
白間津、千田、平舘、千倉、白子の港に
は、船がぎっしり詰まっていた
それらがほとんど無くなっているから
長女の感想につながります
私は、40代前半で頂点に達し挫折した
子供達は、私が挫折した年齢に達したが
これから厳しくも長い登り坂を登って
もらいたい❗️
千倉の多くの若い人達が、先ず自らの
向上に挑戦してもらいたい❗️
その相乗効果が、
昭和の活力ある千倉町をじっくり造り
出すと信じます
その活力の源とは千倉で物を生産する事
です
生産した物を売る事です
観光は必要ですが、先頭に立てるとコロナ
の蔓延で困った様に世間の浮沈を拡大した
影響を受けてしまいます
人が生きるために必要な物を生産する事
です
好不況によらず最低限の需要は保証され
る物を生産する事です
昭和50年代まで千倉漁港には、沢山の
鯖が水揚げされました
鯖がいなくなって、鯖漁船を燃やして
処分した事が間違いでした
獲る魚を他に求める努力を全くしません
でした
国主導の鯖漁船対策に従った結果、船主
と水産業者、関連業界、生活物資を売る
小売り屋に至るまで沈没してしまいました
瀬戸浜海岸で塩を生産した工場がありま
した
砂質の畑でさつまいもを作ってもらい
澱粉を生産し水飴にまで精製した工場
もありました
きゅうりを生産した農業者団体もありまし
た
造り酒屋さんもありました
造船所もありました
綿布を織る工場もありました
缶詰を造る工場もありました
鰹節工場は江戸時代からあり、鯖節に
替わってもつながってきました
私自身、千葉県下1番の養殖場を立ち上げ
4半世紀操業しましたが倒産してしまった
これらが無くなった原因はそれぞれの時代
のそれぞれの原因あっての事ですが、
ほとんどが採算性に原因があろうと思い
ます
しかし、現代では新たな視点で起業する
好機でもあります
行政は、挑戦する若い人達を応援して
もらいたい❗️
フラワーマーチのコースについて行政へ
の注文です
コースを変更してもっと明るいところを
歩きましょう
例えば、瀬戸の出発地から運動公園に登
り、川戸から大貫の小松寺に至り、
小松寺から白間津はシャトルバスで繋ぐ
運動公園への登り坂の土手は、秋に草刈り
をして、菜の花の種を蒔く、下り坂には
水仙の球根を植え、この時季に咲いてく
れる様にする、川戸の道路沿いにも水仙
の群生を作ってもらう
水田は早くに田起こしして菜の花の種を
蒔いて黄色のじゅうたんを演出する
小松寺も無住の様ですが、檀家さんの協
力を願って由緒などを掲出して頂く❗️
コース改善の余地はありましょう
参加者目線でコース造りをしたら年1回
のフラワーマーチ開催のみならず、通年
の来訪お客様の誘導にもなりましょう
コースに魅力を持たせて参加者を増やし
ましょう
この一つの試みが千倉町の魅力向上に
寄与し良い方向への循環につながります
関係者の今一段の奮起を願います